これは1900年代にかの有名な英国人作家D.H.ローレンスが発した言葉です。 彼は当時まだあまり知られていなかったサルデーニャ島を世の中に広く紹介した人の一人。
サルデーニャはこれまでに見たことがない、 出会ったことのない、 唯一無二の魅力にあふれた島だと語っています。
古代遺跡に覆われた、 青空の下の博物館のような島、サルデーニャ。 7000以上のヌラーゲ(この島でしか見られない何千年もの歴史を持つ建造物)や“巨人の墓”“妖精の家”“メンヒル”と
呼ばれる古代文明が残した遺跡が今も島を覆っています。
手つかずの素晴らしい自然はこの島の魅力の一つ。 サルデーニャの海は世界でもっとも美しい海の一つとして知られ、 内陸にはヨーロッパでもっとも深いキャニオンを有しています。 その雄大な自然もさることながら、 島を訪れる人をもっとも魅了するのは、 いたるところに見られる何千年もの歴史の足跡。 郷土料理から伝統衣装、 独自の言語から民族舞踊、 宝飾品から
ビッソ(古い歴史を持つ特殊な織物)まで、 サルデーニャ人の生活には今も悠久の歴史を垣間見ることができるのです。
サルデーニャと日本は不思議な糸で結ばれているようです。
沖縄とサルデーニャはどちらも「ブルーゾーン」と名付けられた世界に数か所しかない長寿ゾーンの一つとして挙げられています。
その長生きの秘訣はおそらく、 澄んだ空気と健康的な食生活、 水質、 適度な運動と地方文化の中にあると言われています。
地中海の真ん中にぽっかりと浮かぶサルデーニャ島。 (日本語ではイタリア語読みの“サルデーニャSardegna”、 や英語読みの“サルジニアSardinia”と表記)地中海ではシチリア島に次いで二番目に大きな島です。 地図を見ると、 この島がイタリア半島だけでなくフランス、 スペイン、 そしてアフリカ大陸にもごく近いのがよくわかります。
現在のサルデーニャは、 世界のVIPたちもあこがれるエメラルドグリーンの美しい海に囲まれたリゾート地として有名ですが、 西地中海のちょうど真ん中に位置するという地理的な条件により、 古代から交易の重要地であり、 また戦略的にも好条件なことから常に侵略の対象にもなってきました。
サルデーニャ島はヨーロッパの中でも最も古い土壌を持つと言われ、 15万年ほど前にイタリア半島やイベリア半島から人々が移住してきたと言われています。 最初の文明が興ったのは紀元前1500年頃。 ヌラーゲ文明とよばれ、 その時代に監視塔や城のような機能を果たすために多く作られた石積みの塔“ヌラーゲ”は今も島全体に7000ほど残っています 。
サルデーニャ人の祖先と言われ、 ヌラーゲ文明を興したヌラーゲ人が生活していたこの島にはじめて異国人が現れたのは紀元前800年頃。 当時地中海全域で海上交易をさかんに行っていたフェニキア人で、 海岸沿いに多くの町をつくりました。 サルデーニャ州都カリアリもその町のひとつです。 その後アフリカ大陸のカルタゴ人やローマ人の侵略をうけますが、 特にローマ帝国のもとでは大きな発展を遂げ、 今も各地でその足跡をたどることができます。
ローマ帝国が崩壊すると、 海を越えてやってくるアラブ人の度重なる侵略により町は崩壊、 経済は停滞し、 苦しい時代に入っていきますが、 西暦1000年頃から、 当時イタリア半島の海洋大国であったピサ(※現イタリア・トスカーナ州の一都市)とジェノバ(※現イタリア・リグーリア州都)の援護をうけ、 島は再建されてゆきます。 ところが100年もするとサルデ ーニャ内でのピサとジェノバの権力は増大し、 多くの町で権力を明け渡さざるを得なくなります。 州都カリアリもこの時代、 ピサ人によって城塞が築かれ、 現在見られる町並みの基盤が作られました。 北西の美しい町アルゲーロや、 “イタリアの最も美しい村”の一つとしても選ばれたカステルサルドの町もこの時代に、 こちらはジェノバ人によって要塞化されました。
中世にはもっとも長く、 そして大きな影響を受けたスペイン支配に入ります。 中でも特にサルデーニャ北西部の重要な町アルゲーロには今もスペインの面影が色濃く残り、 スペイン風の町並みや郷土料理だけでなく、 地元の人たちの間では今もスペイン方言の一つであるカタルーニ ャ語が話され、 “小さなバルセロナ”と呼ばれているほどです。
1720年にはピエモンテ・サヴォイア公国の手に渡り、 「サルデーニャ王国」が誕生します。 このサルデーニャ王国を中心としてイタリア統一が果たされ「イタリア王国」と名前を変え、 現在のイタリア共和国の前身となるのです。